歌手资料
Arb
英文名:
性别:男
国籍:
出生地:
流派:
生日:
星座:
身高:
体重:
简介:
小档案\n第1期(1977年 - 1983年)\n1 石橋凌(Vo)、田中一郎(G)、KEITH(キース、Dr)、宮城伸一郎(B)、エンマ(Key)\n2 石橋凌(Vo)、田中一郎(G&B)、KEITH(Dr)\n3 石橋凌(Vo)、田中一郎(G)、KEITH(Dr)、サンジ(B)\n \n第2期(1983年 - 1986年)\n4 石橋凌(Vo)、KEITH(Dr)、サンジ(B)、斉藤光浩(G)\n5 石橋凌(Vo)、KEITH(Dr)、斉藤光浩(G)、ジャン=ジャック・バーネル(B)\n6 石橋凌(Vo)、KEITH(Dr)、斉藤光浩(G)、岡部滋(B)\n \n第3期(1986 - 1990年)\n7 石橋凌(Vo)、KEITH(Dr)、岡部滋(B)、白浜久(G)\n8 石橋凌(Vo)、KEITH(Dr)、白浜久(G)、浅田孟(B)\n \n第4期(1998年 - )\n9 石橋凌(Vo)、KEITH(Dr)、内藤幸也(G)、EBI(B)\n10 KEITH(Dr)、内藤幸也(G)、EBI(B)\n小简介\nARB(エーアールビー)は、石橋凌を中心とした日本のロックバンド。1977年に結成、デビュー曲は「野良犬」(1978年10月25日)。1990年に一度解散するが、1998年に新メンバーにより復活した。2006年3月、石橋の脱退により活動停止している。\nユニコーン、甲本ヒロト、真島昌利、JUN SKY WALKER(S)、福山雅治、ニューロティカをはじめ、数多くのミュージシャンに影響を与えた。\n所属レコード会社は、ビクターエンタテインメント(1978年 - 1990年)→ユニバーサルビクター(→ユニバーサルミュージック)(1998年 - 2002年)→M&I COMPANY(2003年 - 2006年)。\nストレート、ストイックな1980年代硬派バンドで、博多出身のめんたいロックのひとつ。正確にはARBは石橋の加入前に東京で結成されているので博多とは直接関係はないが、石橋が鮎川誠やサンハウスのファンであること、石橋や田中一郎が福岡出身であることなどから、そのようにカテゴライズされていった。\nバンド名の「ARB」とは、「アレキサンダー・ラグタイム・バンド」の略で、ジャズの同名曲より引用したものであった。しかし、3枚目のアルバム『BOYS&GIRLS』発売時より、メンバーの意向で「アレキサンダー・ラグタイム・バンド」とは名乗らず、「ARB」を正式名称とすることになった。\n歌詞は、サンハウスの菊(柴山俊之)が手がけた数曲と、最初のアルバムの一部を除いて、ほぼ全てを石橋が作詞している。白浜久が在籍していた時期はクレジットを「Ryo&Hisashi」としており、白浜が作詞した曲もあった。詞の内容は戦争や労働者、人間をテーマにおいた曲が多い。特に労働に関する曲は「Work Song」と呼ばれ、代名詞のひとつとなった。 作曲は、石橋と各時期のギタリスト、ベーシストによって行われた。ギタリストによってバンドサウンドの方向性が変化するため、所属したギタリストが変わるたびに「第○期」という表現が用いられる。\nARBのファンのことを「ARB KIDS」という。なお、最初の解散までは「ARB JAM」というファンクラブが存在していた。\n大事件\n石橋と田中はARB結成前からの知り合いであり、田中と白浜は幼馴染であった。\n1977年\nシンコーミュージックが主体となり、田中、宮城、エンマ、KEITHの4人でバンドを結成。ボーカリストを探していた田中は甲斐よしひろに相談し、甲斐は照和でボーイをしていた時に歌っていた石橋を思い出し、彼を薦めた。これにより、メンバー5人が揃う。\n1978年 - 1979年\nデビュー前、後楽園球場でのピンク・レディーのコンサートにおいて前座を務めた際、白の囚人服を着て登場したところ、ビクターエンタテインメント関係者の目にとまり、レコード会社が決まった。しかし、所属事務所のシンコーミュージックは、ARBをベイシティローラーズのような、いわゆるアイドルグループとして売り出そうとしていた。1stアルバム「A.R.B.」発表後、純粋にロックをやりたいバンド側と事務所側の溝はさらに広がり、デビューから約1年後には独立を決意する。その際メンバーの宮城とエンマが脱退。独立後、ベース不在のまま、シングル「魂こがして」をリリース。ベースは田中が弾いている。\n1980年\nベースにサンジ(野中良浩)を迎え、2ndアルバム「BAD NEWS」を発表。前作よりもギターサウンドを前面に打ち出したアルバムとなった。新宿ロフトなどのライブハウスをメインに活動、ライブバンドとして知れわたる。しかし、極貧生活のためメンバーは質屋通いをしていた。\n1981年\n3rdアルバムの「BOYS & GIRLS」発表後、ドラムのKEITHが倒れ、入院することになったが、4thアルバムの「指を鳴らせ!\u002FSnap Your Fingers」の発売がすでに決まっていたため、やむをえずサポートのドラマーを起用して製作が行われた。そのため、アルバムのクレジット表記では”KEITH(IN THE HOSPITAL)”となっている。\n1982年 - 1983年\n5th~6thアルバムを発表。初期のロックンロールオリンピックに毎年のように出演していた。\n1983年 - 1984年\nバンドのリーダーであった田中一郎がツアー中に突然の脱退。その後、ツアーにサポートとして参加していた斉藤光浩が正式加入する。斉藤の加入により、ギターを主軸にしつつも田中時代より若干ポップな楽曲が発表されるようになるが、バンドの方向性に大きな変化はなかった。\nしかし、ギター交代の束の間、不祥事によりベースのサンジを解雇することになる。その際、KEITHの親友であるストラングラーズのジャン=ジャック・バーネルが急遽来日し、ベーシストとして一時参加した。7thアルバム「YELLOW BLOOD」にも2曲参加している。その後、オーディションにより岡部滋が正式ベーシストとして加入した。\n1985年 - 1986年\n石橋はARBの知名度を上げるため、親交のあった俳優・松田優作が監督する『ア・ホーマンス』に出演した。その演技が映画業界で認められ、以後のARBは石橋の俳優活動と並行した活動になる。この映画の主題歌として、8thアルバム「砂丘1945年」に収録されている「AFTER '45」が使用された。\n1986年\n斉藤が脱退し、白浜久が加入。白浜の加入により、それまでの田中~斉藤時代の方向性とは大きく異なり、必ずしもギターを主軸としない楽曲、打ち込みを多用した楽曲が発表されるようになる。ライブでも、白浜加入後の楽曲はもちろん、過去の楽曲にも打ち込み要素を加えたアレンジをして演奏していた(「Give me a chance」「BLUE COLOR DANCER」など)。\n1987年\n打ち込み多用の集大成ともいえる10thアルバム「ROCK OVER JAPAN」を発表。このアルバム発表後に、岡部が脱退。シーナ&ロケッツの浅田孟が加入。浅田が加入したころになると、バンドは再びバンドサウンドを基調とした活動に戻っていった。また、シングル「SWEAT, HEART & BRAIN」のカップリングとして、田中時代の楽曲「BAD NEWS」「DO IT! BOY」のアレンジ版がリリースされ、それ以外の過去の楽曲においてもライブで、コード進行の変更、ギターソロのない曲にギターソロを加えたり、またはその逆を行ったり、大胆なアレンジを積極的にしていた。「魂こがして」にピアノの前奏が入るようになったのもこの頃からである。\n1988年\n石橋の俳優活動、バンドの方向性における変化などを経てリスナーの間口が広がったARBは、デビュー10周年にして初の日本武道館ライブを慣行。\n1989年\n12thアルバム「SYMPATHY」を発表。オーストラリアでの初の海外レコーディングが行われた。本作に収録されている「MURDER GAME」は歌詞の内容が宮崎勤による東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件に酷似しているとNHKから指摘があったため、放送禁止になった。\n1990年\n松田優作の急逝を受けて石橋が俳優転向宣言。これによりARBは解散。解散ツアーとなる「THE LONGEST TOUR」では、ゆかりのあるミュージシャンをゲストとして多数呼び、慣行された。ツアー最終日の最後に演奏された曲は「明日へのBOOGIE」であった。\n1997年 - 1998年\n再結成。新宿ロフトで復活を果たす。石橋、KEITHに加えて、新メンバーとして内藤幸也・EBIが加入。13thアルバム「REAL LIFE」発表。\n1999年\n武道館ライブを行う。14thアルバム「EL DORADO」発表。このアルバムのジャケットは、メンバー全員が1970年代風のテニスウェアに身を包んでいるという”らしくない”ものであった。\n2001年\n15thアルバム「HARD-BOILED CITY」発表。歌詞の一部がレコード制作基準倫理委員会に引っかかり、リリースを一度延期し、歌詞を変えたうえでの発売となった。ライブでは元の歌詞で歌われている。\n2002年\nブッシュ政権のイラクへの宣戦布告を受けて、石橋凌ソロシングル「忘れてはイケナイ物語り」を発表。カップリングとしてARB名義の楽曲「HEY! WAR」が収録された。\n2003年\nデビュー25周年ツアーを実施。16thアルバム「KAZA-BANA」を発表。解散前も含めて長らくビクター系列とのリリース契約が続いていたが、本作はM&I COMPANYからのリリースとなった。\n2004年\nメンバーチェンジを繰り返してきたARBであったが、本年をもって、再結成後のメンバーでの活動が、同一メンバーによる活動期間としては最長になった。\n2005年\n東北楽天ゴールデンイーグルスの公認応援歌「荒鷲のうた」を発表。\n2006年3月1日\n石橋の脱退表明により活動停止。\n活動停止後の各メンバーの活動\n石橋は俳優活動にしばらく専念したのち、2011年より音楽活動を再開する。\nKEITHは各種イベントにドラマーとして参加する。\n内藤は、EBIとともにSDRに参加したり、もともとARBと並行していた自らのバンドの活動を活発化させる。\nEBIはSDRに参加したのち、ユニコーンの再結成に参加。
小档案\n第1期(1977年 - 1983年)\n1 石橋凌(Vo)、田中一郎(G)、KEITH(キース、Dr)、宮城伸一郎(B)、エンマ(Key)\n2 石橋凌(Vo)、田中一郎(G&B)、KEITH(Dr)\n3 石橋凌(Vo)、田中一郎(G)、KEITH(Dr)、サンジ(B)\n \n第2期(1983年 - 1986年)\n4 石橋凌(Vo)、KEITH(Dr)、サンジ(B)、斉藤光浩(G)\n5 石橋凌(Vo)、KEITH(Dr)、斉藤光浩(G)、ジャン=ジャック・バーネル(B)\n6 石橋凌(Vo)、KEITH(Dr)、斉藤光浩(G)、岡部滋(B)\n \n第3期(1986 - 1990年)\n7 石橋凌(Vo)、KEITH(Dr)、岡部滋(B)、白浜久(G)\n8 石橋凌(Vo)、KEITH(Dr)、白浜久(G)、浅田孟(B)\n \n第4期(1998年 - )\n9 石橋凌(Vo)、KEITH(Dr)、内藤幸也(G)、EBI(B)\n10 KEITH(Dr)、内藤幸也(G)、EBI(B)\n小简介\nARB(エーアールビー)は、石橋凌を中心とした日本のロックバンド。1977年に結成、デビュー曲は「野良犬」(1978年10月25日)。1990年に一度解散するが、1998年に新メンバーにより復活した。2006年3月、石橋の脱退により活動停止している。\nユニコーン、甲本ヒロト、真島昌利、JUN SKY WALKER(S)、福山雅治、ニューロティカをはじめ、数多くのミュージシャンに影響を与えた。\n所属レコード会社は、ビクターエンタテインメント(1978年 - 1990年)→ユニバーサルビクター(→ユニバーサルミュージック)(1998年 - 2002年)→M&I COMPANY(2003年 - 2006年)。\nストレート、ストイックな1980年代硬派バンドで、博多出身のめんたいロックのひとつ。正確にはARBは石橋の加入前に東京で結成されているので博多とは直接関係はないが、石橋が鮎川誠やサンハウスのファンであること、石橋や田中一郎が福岡出身であることなどから、そのようにカテゴライズされていった。\nバンド名の「ARB」とは、「アレキサンダー・ラグタイム・バンド」の略で、ジャズの同名曲より引用したものであった。しかし、3枚目のアルバム『BOYS&GIRLS』発売時より、メンバーの意向で「アレキサンダー・ラグタイム・バンド」とは名乗らず、「ARB」を正式名称とすることになった。\n歌詞は、サンハウスの菊(柴山俊之)が手がけた数曲と、最初のアルバムの一部を除いて、ほぼ全てを石橋が作詞している。白浜久が在籍していた時期はクレジットを「Ryo&Hisashi」としており、白浜が作詞した曲もあった。詞の内容は戦争や労働者、人間をテーマにおいた曲が多い。特に労働に関する曲は「Work Song」と呼ばれ、代名詞のひとつとなった。 作曲は、石橋と各時期のギタリスト、ベーシストによって行われた。ギタリストによってバンドサウンドの方向性が変化するため、所属したギタリストが変わるたびに「第○期」という表現が用いられる。\nARBのファンのことを「ARB KIDS」という。なお、最初の解散までは「ARB JAM」というファンクラブが存在していた。\n大事件\n石橋と田中はARB結成前からの知り合いであり、田中と白浜は幼馴染であった。\n1977年\nシンコーミュージックが主体となり、田中、宮城、エンマ、KEITHの4人でバンドを結成。ボーカリストを探していた田中は甲斐よしひろに相談し、甲斐は照和でボーイをしていた時に歌っていた石橋を思い出し、彼を薦めた。これにより、メンバー5人が揃う。\n1978年 - 1979年\nデビュー前、後楽園球場でのピンク・レディーのコンサートにおいて前座を務めた際、白の囚人服を着て登場したところ、ビクターエンタテインメント関係者の目にとまり、レコード会社が決まった。しかし、所属事務所のシンコーミュージックは、ARBをベイシティローラーズのような、いわゆるアイドルグループとして売り出そうとしていた。1stアルバム「A.R.B.」発表後、純粋にロックをやりたいバンド側と事務所側の溝はさらに広がり、デビューから約1年後には独立を決意する。その際メンバーの宮城とエンマが脱退。独立後、ベース不在のまま、シングル「魂こがして」をリリース。ベースは田中が弾いている。\n1980年\nベースにサンジ(野中良浩)を迎え、2ndアルバム「BAD NEWS」を発表。前作よりもギターサウンドを前面に打ち出したアルバムとなった。新宿ロフトなどのライブハウスをメインに活動、ライブバンドとして知れわたる。しかし、極貧生活のためメンバーは質屋通いをしていた。\n1981年\n3rdアルバムの「BOYS & GIRLS」発表後、ドラムのKEITHが倒れ、入院することになったが、4thアルバムの「指を鳴らせ!\u002FSnap Your Fingers」の発売がすでに決まっていたため、やむをえずサポートのドラマーを起用して製作が行われた。そのため、アルバムのクレジット表記では”KEITH(IN THE HOSPITAL)”となっている。\n1982年 - 1983年\n5th~6thアルバムを発表。初期のロックンロールオリンピックに毎年のように出演していた。\n1983年 - 1984年\nバンドのリーダーであった田中一郎がツアー中に突然の脱退。その後、ツアーにサポートとして参加していた斉藤光浩が正式加入する。斉藤の加入により、ギターを主軸にしつつも田中時代より若干ポップな楽曲が発表されるようになるが、バンドの方向性に大きな変化はなかった。\nしかし、ギター交代の束の間、不祥事によりベースのサンジを解雇することになる。その際、KEITHの親友であるストラングラーズのジャン=ジャック・バーネルが急遽来日し、ベーシストとして一時参加した。7thアルバム「YELLOW BLOOD」にも2曲参加している。その後、オーディションにより岡部滋が正式ベーシストとして加入した。\n1985年 - 1986年\n石橋はARBの知名度を上げるため、親交のあった俳優・松田優作が監督する『ア・ホーマンス』に出演した。その演技が映画業界で認められ、以後のARBは石橋の俳優活動と並行した活動になる。この映画の主題歌として、8thアルバム「砂丘1945年」に収録されている「AFTER '45」が使用された。\n1986年\n斉藤が脱退し、白浜久が加入。白浜の加入により、それまでの田中~斉藤時代の方向性とは大きく異なり、必ずしもギターを主軸としない楽曲、打ち込みを多用した楽曲が発表されるようになる。ライブでも、白浜加入後の楽曲はもちろん、過去の楽曲にも打ち込み要素を加えたアレンジをして演奏していた(「Give me a chance」「BLUE COLOR DANCER」など)。\n1987年\n打ち込み多用の集大成ともいえる10thアルバム「ROCK OVER JAPAN」を発表。このアルバム発表後に、岡部が脱退。シーナ&ロケッツの浅田孟が加入。浅田が加入したころになると、バンドは再びバンドサウンドを基調とした活動に戻っていった。また、シングル「SWEAT, HEART & BRAIN」のカップリングとして、田中時代の楽曲「BAD NEWS」「DO IT! BOY」のアレンジ版がリリースされ、それ以外の過去の楽曲においてもライブで、コード進行の変更、ギターソロのない曲にギターソロを加えたり、またはその逆を行ったり、大胆なアレンジを積極的にしていた。「魂こがして」にピアノの前奏が入るようになったのもこの頃からである。\n1988年\n石橋の俳優活動、バンドの方向性における変化などを経てリスナーの間口が広がったARBは、デビュー10周年にして初の日本武道館ライブを慣行。\n1989年\n12thアルバム「SYMPATHY」を発表。オーストラリアでの初の海外レコーディングが行われた。本作に収録されている「MURDER GAME」は歌詞の内容が宮崎勤による東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件に酷似しているとNHKから指摘があったため、放送禁止になった。\n1990年\n松田優作の急逝を受けて石橋が俳優転向宣言。これによりARBは解散。解散ツアーとなる「THE LONGEST TOUR」では、ゆかりのあるミュージシャンをゲストとして多数呼び、慣行された。ツアー最終日の最後に演奏された曲は「明日へのBOOGIE」であった。\n1997年 - 1998年\n再結成。新宿ロフトで復活を果たす。石橋、KEITHに加えて、新メンバーとして内藤幸也・EBIが加入。13thアルバム「REAL LIFE」発表。\n1999年\n武道館ライブを行う。14thアルバム「EL DORADO」発表。このアルバムのジャケットは、メンバー全員が1970年代風のテニスウェアに身を包んでいるという”らしくない”ものであった。\n2001年\n15thアルバム「HARD-BOILED CITY」発表。歌詞の一部がレコード制作基準倫理委員会に引っかかり、リリースを一度延期し、歌詞を変えたうえでの発売となった。ライブでは元の歌詞で歌われている。\n2002年\nブッシュ政権のイラクへの宣戦布告を受けて、石橋凌ソロシングル「忘れてはイケナイ物語り」を発表。カップリングとしてARB名義の楽曲「HEY! WAR」が収録された。\n2003年\nデビュー25周年ツアーを実施。16thアルバム「KAZA-BANA」を発表。解散前も含めて長らくビクター系列とのリリース契約が続いていたが、本作はM&I COMPANYからのリリースとなった。\n2004年\nメンバーチェンジを繰り返してきたARBであったが、本年をもって、再結成後のメンバーでの活動が、同一メンバーによる活動期間としては最長になった。\n2005年\n東北楽天ゴールデンイーグルスの公認応援歌「荒鷲のうた」を発表。\n2006年3月1日\n石橋の脱退表明により活動停止。\n活動停止後の各メンバーの活動\n石橋は俳優活動にしばらく専念したのち、2011年より音楽活動を再開する。\nKEITHは各種イベントにドラマーとして参加する。\n内藤は、EBIとともにSDRに参加したり、もともとARBと並行していた自らのバンドの活動を活発化させる。\nEBIはSDRに参加したのち、ユニコーンの再結成に参加。